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神戸大学院生リンチ殺人事件 警察はなぜ凶行を止めなかったのか
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2006年8月18日 (金)
第4回「秋田県警は自供せよ!」

 8月9日午後、秋田県警と秋田地方検察庁はすべての捜査が終結したとして、畠山彩香ちゃん(当時9歳)殺害の容疑で逮捕した実母の畠山鈴香被告(33)を秋田地方裁判所に追起訴した。本件は当初から物的証拠の乏しい事件とされ、公判を危ぶむ声が上がっていたが、図らずも検察側には公判を維持できるだけの強力な「目撃証言」と「物的証拠」があるという。
 だが私にはその言葉を素直に呑み込むことはできない。秋田地検が胸を張れるだけの捜査を行ったとは到底思えないからである。
 そもそも「目撃証言」とは犯人が罪を行った瞬間、若しくはその直前、直後の様子を詳細に目撃した人物が実在するという意味なのだから、事件当日、藤琴川にかかる大沢橋の上で鈴香被告と彩香ちゃんらしき子どもを見かけたという程度の証言では、「目撃証言」とは言えないのである。それなのに、もしこの証言だけをもって「目撃証言」だというなら今回の追起訴は茶番という以外にない。
 だいたい本当に彩香ちゃん殺害の現場を目撃したという人がいるなら、なぜその時すぐに110番通報しなかったのか。仮に通報が遅れたとしても、彩香ちゃんの遺体が発見されたと知った時点で名乗り出るのが普通なのである。そもそもそれほど有力な目撃者が存在していたのなら、警察は早期に鈴香被告を逮捕していたはずなのだ。
 さらに、検察がいう「物的証拠」の存在についてもおおいに疑わざるを得ない。警察は確かに8月1日午後7時頃、鈴香被告を伴って大沢橋上で現場検証を行った。鈴香被告が「この場所から彩香ちゃんを投げ捨てた」と自供したからだ。
 だが、秋田県警はなぜかそれを裏付けるための現場での「転落実験」を行っていないのだ。大沢橋の橋げたから藤琴川の水面まではおよそ8メートルある。極刑を争う熾烈な公判に耐えるためには、川幅ほどある橋のどの部分から彩香ちゃんを転落させたという程度の検証だけでは、被告人を有罪にすることはできない。
 少なくとも鈴香被告が指示する場所からどのように彩香ちゃんを投げ捨て、彩香ちゃんの身体はどのような姿勢で転落したのかを詳細に証明する必要があるのだ。そのためには限りなく彩香ちゃんの人体に模した人形を鈴香被告の供述どおりに転落させ、水中に没した彩香ちゃんの身体が川床の石に激突し、結果、頭部と頸部が骨折したのだと客観的に説明できるだけの裏付けが必要なのである。できることなら骨折痕(陥没)と川底の石の弧の部分が一致することが望ましいが、検察は、その最も重要な転落実験をしないままに起訴に踏み切ったのだ。
 検察は何を根拠に物的証拠があると言い張るのかわからないが、鈴香被告は間違いなく初公判で否認に転じるだろう。そうなると弁護側は当然のごとく、大沢橋からの転落実験を裁判所に要求することになる。そして万一、検察側が主張する結果が得られなかったときは、彩香ちゃんの殺害事件そのものが無罪になってしまう可能性も出てくるのだ。いくら自供を取ったとはいえ鈴香被告は「強引な取り調べを受け自白を強要された」というに違いない。有罪にすべき証拠が、唯一被告人の供述だけだというなら、裁判所は被告人を無罪にせざるを得ないのである。事態はますます混迷の度を深めているといえる。

 ところで、なにかにつけて「ズサンな捜査」とヤリ玉に挙げられる秋田県警能代署だが、調べてみると能代署の捜査はズサンというレベルではないことがわかる。そこには、まるではじめから事件を「握りつぶす」といわんばかりの確定的な故意さえもが感じられるのだ。
 能代署が「彩香ちゃん事件を握りつぶした」と指摘する客観的根拠は、彩香ちゃんの遺体が発見された当日(4月10日)以後、能代署が記者クラブに所属するマスコミに配布した文面にある。
 以下はその広報文を抜粋したものだが、特に罫線部分に注目してもらいたい。

 平成18年4月10日
 第一報
 ・身元については確認中。
 第二報
 ・母親が身元を確認。検視を行い、状況によっては司法解剖の予定。
 ・今後の捜査方針として、引き続き検索を実施し、落下場所を確認する。
 第三報
 ・検視結果、特別な外傷なし。死因については断定できず。

 平成18年4月11日
 第四報
 ・秋田大学医学部法医学教室で解剖した結果、死因、溺死。
 ・遺体には特異な損傷はなく、自宅近くの藤琴川の岸辺で遊んでいるうち、川に落ちて流されたものと見られる。

 どの部分を読み取っても彩香ちゃんの死は「事故死」と読める。だが、7月14日「彩香ちゃんの遺体の頭部と頸部に骨折痕があった」と各全国紙が報じたことから一気に化けの皮がはがれ落ちた。能代署が記者クラブに配った広報文は真っ赤なウソだったのだ。信頼関係を裏切られてもなお警察に対して従順でいるマスコミの腰抜けぶりについては怒りを禁じえないが、この場においては米山豪憲君(当時7歳)の殺害事件について、地元マスコミは結果的にこぞって鈴香被告の「片棒を担いだ」ことになるというに留めておく。

 ではなぜ能代署はすぐにバレるウソを広報文に書いたのか。関係者に「警察の発表は間違っている、遺体には骨折痕があった」と指摘されたらたちまち発覚する程度のウソを、だ。逆をいえば、絶対にバレないという自信があったからこそ警察はウソをつきとおそうとしたということなのか。
 例えば彩香ちゃんの遺体を収容したという救急隊員の証言も信じることができない。テレビカメラの前で隊員は「目立った外傷はなかった」「彩香ちゃんの遺体はうつ伏せに倒れていて顔が赤くなって死斑が出ていた」と語っているからだ。
 救急隊の使命は文字どおり人命の救助である。だから彼らは一見しただけで死亡状態であると認識しても、要救護者の蘇生のために最大限の努力を払う。そんな高い技術を持った彼らが、頭部の骨折と頸部の骨折を見落とすはずがない。奇妙なのはそれだけではない。彩香ちゃんの遺体が漂着した中州に駆けつけた二ツ井消防署の救急隊員は、信じられないことに彩香ちゃんの遺体を救急車で「二ツ井交番」(=今春行われた市町村合併で能代署に統合された旧二ツ井警察署がそのまま“交番”として姿を残している)に搬送していたのだ。言うべくもないが救急車は遺体搬送車ではない。彩香ちゃんを救急車に乗せたというなら向かうべきは病院のはずなのである。だが、彩香ちゃんの遺体はなぜかその後二ツ井交番から能代署へと転送されたのだ。
 彩香ちゃんと豪憲君の遺体が発見された地区は今年春先まで「二ツ井警察署」の管轄だった。その意味からいえば「二ツ井警察署」時代から続く警察医が、二ツ井交番に出向き遺体の検視を行うべきである。
 現に、5月17日鈴香被告に殺害された米山豪憲君の遺体は、翌18日に発見後直ちに二ツ井交番に運ばれ、30年に渡って二ツ井警察署で警察医を務めてきた、K医師によって検視が行われたのだ。
 だが彩香ちゃんの遺体だけは、なぜか能代署に転送され能代署の警察指定医であるO医師によって検視が行われたのである。
 2人の遺体を巡る取り扱いの違いはいったい何なのか。それについては定かではないが、O医師は後にある記者の質問にこう答えている。「彩香ちゃんの遺体には骨折など目立った損傷はなかった」。検事から代行検視を委託されるほどのベテラン医師が骨折箇所を見落とすだろうか。検視に当たったO医師の目には瞬時にそれが「他殺体」であると見て取れたはずだ。だからこそO医師は司法解剖の必要性を認めわずか25分間で検視を終えたのである。
 つまり能代署は、語ることのできない何らかの目的を達成するために、O医師に検視を行わせたいと考え彩香ちゃんの遺体を一旦搬送した二ツ井交番からわざわざ能代署に転送したのではないか。

 それでは、検視のあと、司法解剖を行った秋田大学医学部法医学教室は、なぜ警察発表のウソを指摘しなかったのか。8月3日、豪憲君の父勝弘さん(40)と秋田大学を訪れた私は、豪憲君と彩香ちゃんの遺体を解剖したというN医師から当時の状況を克明に聞いた。質問は次のとおり。

 Q:彩香ちゃんの遺体の頭部及び頸部に骨折痕はあったか?
 A:我々はお答えする立場ではない。いずれ裁判でわかる。

 Q:警察の発表を知っているか?
 A:知っていた。

 Q:では、なぜ警察発表の間違いについて正さなかったのか?
 A:我々は発表する立場ではない。

 Q:法医学教室が警察発表の間違いを指摘していたら、警察は事件として捜査を始めたはずだ。もし、法医学教室が警察発表の間違いを正していたら豪憲君は殺されずに済んだ。
 A:我々は法律に基づいて解剖したのだから、回答する相手は裁判所から令状をとって遺体の解剖を依頼してきた警察だけだ。我々は誰に対しても発言する立場にはない。

 
 つまりN医師は「法医学教室はいかなる事情があっても絶対に発言しない」と言うのである。
 確かに、「遺体には損傷がなかった」とする警察発表に対し「それは違う」と指摘したら、法医学教室が「遺体には損傷があった」と認めたことになってしまうのだからN医師の言葉に矛盾はない。

 最後に、聞きにくいことと知りつつ聞いてみた。

 Q:『黙っていてくれ』と警察から圧力を加えられたことはないか?
 A:他の人はわかりませんが、私はありません。


 じつに明快な回答である。法医学に携わる者、絶対に発言しないというのが彼らの鉄則であり、法医学界の掟だったのだ。

 では能代署はいつの時点で「彩香ちゃん事件」の握りつぶしを決意したのか。
 能代署は遺体が発見された4月10日の第二報で「落下場所」という言葉を持ちだし事故説を強調した。
 そして第三報では、検視の結果として「特別な外傷なし」とウソの発表をした。さらに4月11日の第四報では、秋田大学医学部法医学教室で解剖した結果として死因を溺死と断定し、法医学の権威に相乗りするかのように警察犬の活動状況を持ち出し、「遺体には特異な損傷はなく、自宅近くの藤琴川の岸辺で遊んでいるうち、川に落ちて流されたものと見られる」と事件の可能性を排除したのである。
 ところが鈴香被告は後の取り調べに対し「サクラマスを見に行って、見えないから帰ろうというと彩香が駄々をこねたので大沢橋から落とした」と具体的に供述を始めたのだ。だとすると彩香ちゃんはそもそも岸辺の河原には行っていないのである。それなのになぜ能代署は警察犬が彩香ちゃんの源臭をたどったとウソをついてまで河原に固執したのだろうか。いずれ明らかになるとは思うが、そうなると能代署には「警察犬活動状況報告書」という司法書類さえも捏造した疑いが出てくるのだ。
 能代署は消防関係者らの口を封じ、警察犬までも使って河原からの転落説に信憑性を与えた。そしてO医師からは県警発表に異を唱えないと事前に約束を取り付け、法医学教室の習性さえも逆手にとった可能性さえある。もちろんそれらは推測に過ぎないが根拠のない空論ではない。
 上流に頭を向けた彩香ちゃんの遺体はうつ伏せになって倒れていた。そして顔には明らかな死斑が見られたと救急隊員が証言しているからだ。経験ある警察官ならそれだけでおかしいと気づく。死斑は地球上の重力によって発現する現象だからゆっくりと水面を漂う遺体には死斑は発現しにくいのである。つまり、鮮明な死斑があったということは、長時間に渡って中洲に倒れていたことを意味するのだから、たとえ彩香ちゃんの骨折に気づかなかったと言い張っても救急隊員や警察官は「(河原から)8キロもの漂流はありえない」、つまり転落場所が違うとすぐに気づくはずなのだ。
 能代署がなぜ殺人事件を握りつぶしたのかはわからない。だが法医学という権威を逆手に関係者の口を封じることができれば難なく彩香ちゃんの殺人事件を事故にすりかえることができる。すべての判断は読者に委ねる以外にないが、これだけははっきりと言わせてもらう。
 能代署が早期に鈴香被告への捜査を展開していたなら絶対に幼い豪憲君の命は守られたはずなのだ。それなのに秋田県警は「真実を知りたい」と願う両親からの質問さえも一蹴し、こうしている間も組織防衛にのみ腐心しているのである。
「ウソつき」と非難されるべきは鈴香被告だけではない。県民の生命身体財産を守るべき立場の秋田県警本体そのものがウソつきなのだ。国民は絶対にこの事件から目をそらせてはいけない。とことん追及するべきなのである。でなければ我々が信頼する警察制度の意味さえもが失われてしまうのだ。
 秋田県警は腹を決めて早々に自供するべきである。

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詳しい内容は以下のページをご覧ください。
http://moura.jp/liter/kuroki/

コメント

三好達元最高裁長官。
最高裁長官時代に、司法予算をビール劵に換え、司法記者クラブに配るなど、
マスコミへの接待に使っていた。
http://www.incidents.gr.jp/0209/terasawa020915/terasawa020915.htm
「愛媛玉串料訴訟」最高裁大法廷判決で、「合憲」とする少数意見を述べた。
http://jinja.jp/jikyoku/jikyoku/tamagushi.html
現在、「日本会議」会長。

草場良八元最高裁長官。
1990年(平成2年)2月20日 矢口洪一長官の後を継ぎ、最高裁判所長官に就任。
1995年(平成7年)11月7日 退官。定年の3日前に、村山富市首相(当時)に
会いに官邸を訪ね、後任の最高裁判所長官に三好達判事を推薦したいと切り出
したところ、最高裁判所の判断を尊重すると、草場案があっさり通った。
この人事に関しては、前長官の矢口と現長官の草場との間で確執があったと囁
かれたが、真意は定かではない。草場を最高裁判所長官に決めるにあたり、
矢口前長官が周到に準備したことは杞憂に終わった。歴代最高裁判所長官の人事
について、吉田茂首相が田中耕太郎に固執し、佐藤栄作首相がリベラル派の田中
二郎を排して、保守派の大物石田和外を登用したのと比べ、村山首相は、何とも
安易な判断であったかと指摘されている。

政府は17日までに、中込秀樹名古屋高裁長官が定年退官するのに伴い、
高裁長官職に竹崎博允最高裁事務総長を任命することを内定した。来週の閣議で
決定する。これを受け、最高裁は竹崎氏を名古屋高裁長官に、最高裁事務総長に
大谷剛彦最高裁事務次長を充てる。
 【名古屋高裁長官】
 竹崎 博允氏(たけさき・ひろのぶ)東大卒。69年判事補。東京地裁部総括
判事、最高裁経理局長などを経て02年11月から最高裁事務総長。61歳。岡
山県出身。
 【最高裁事務総長】
 大谷 剛彦氏(おおたに・たけひこ)東大卒。72年判事補。東京高裁事務局
長、最高裁経理局長などを経て06年1月から最高裁事務次長。59歳。東京都
出身。

4作拝読いたしました。
失敬かとは思いましたが抱え込めない疑問を吐かせて下さい。

一連の黒木原稿の流れですと、
「地元の有力者が聖なる警察を誘惑するのも警察腐敗の一因である。
その有力者を警察出身者として微力ながら先に糾弾し警察組織を守り、
その結果により現場職員を守るのが仕事」だと理解しておりました。
贈収賄の贈る側を叩こうという論理だとでもいうのでしょうか。

しかしバブル崩壊直後から雑誌媒体を中心にフリーライター諸兄が異口同音に
「いわゆる口利きネットワークには警察も役所の一つとして組み込まれている」との考察を
果敢に書き散らしていた様に思います。地位だけでなく時には命まで狙われつつも・・・。
そうした中で、一線を画す前出の「聖なる警察論」と理解した一貫した切り口は
いろいろと考えさせられ、微力ながら原稿に注目しておりました。

ところが今回の事件では数多の警察批判の記事と同じ様に思えます。
「誘惑に負ける警察組織が病巣である」いや「警察組織はメルトダウンしてしまった」
という印象の、警察に期待を裏切られた人間なら大抵読むであろう、警察批判にありがちな
切り口に転換されてしまったのには、何か心境の変化でもあったのでしょうか。

若輩者には今までの展開から秋田で地元の有力者が雲隠れをしているのか、今までの筆者の
切り口が間違っていたかのどちらかの様にも思い始めてしまってなりません。もし仮に後者
だったりすると、過去著作の協力してくれた関係者への名誉回復にも時間が掛かる様な気がします。
放置されるようだと、一般からは聖なる現場の論理と何一つ変わらないのでは・・・?
杞憂だとは思いますが。

週刊朝日 2006.10.13号の鈴香母親のインタビュー記事を読むと、彩香ちゃんが遺体で発見された日から3日後、鈴香の弟が能代署へ彩香ちゃんの死因について尋ねに行った際、担当官に頭部を骨折していた事を知らされていたらしいですね。

広報文に骨折の記載が無かった理由はわかりませんが、隠蔽する意図があれば被害者家族には言わないのでは?

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